火にくべる

火にくべてしまいたい日常の機微

1/10-2(改)コミットメントと仲間の話

なんか病んでたけど自己解決しそうなので病むのはやめました。

もう一年なんでもできる時間を延ばしたいとか京都残りたいとか思っていたが(実際京都は残りたいけど)「選びとることでしか得られないものを得る」ための時間を今まで軽視していたことに気づいていた。ずっと前から。ふつうに、そろそろ何かを得たい。今の自分なら、正直1年間一つの場所にいるだけでも相当変われると思う。とくにこの4年間、大きなものにコミットしてこなかった、オファーを蹴ってきた自分がいる。そりゃ気楽だけど、得られなかったものも大きい。

いま、一つの場所にいつづける、その場にいる人を裏切らない、というある種当然のことをできる自信がまったくない。その自信を回復するための時間。意志がとても弱いからこそ、どこでもいいからある程度の外圧をもってコミットメントを行うという行為が、いま自分のためにものすごく大切なんじゃないかと思った。「いつでもやめられる」のは当然だからこそ、逆に「満足するまで続けてみる」という意識をもってみること。マジで当たり前かもしれんけど、思い返せばマジでひとつもやってきてません。すごいな。

結局は、コミットメントしないと「仲間」と認められない、という話でもある。バイト先にだらだら7年いても、2年社員をやる方がよっぽどコミットできるわけ。

「仲間」を作るためには、これに興味がある、ここに属したい、これをやり遂げたいという意思を伝えて、ある程度の期間同じ方向を向かなければならない。端的にいえば、これってかなり苦手だし、自分に自信がなくて気後れするし、極論いまの自分は、どの場でも心の底からは「仲間」になれていなくて、ふとした瞬間に疎外感を感じる。

友達がたくさんいて、本当にずっと人には恵まれているが、やっぱり一歩引いた目線で相手を見ているというか「自分とあなたとは違う」というコミュニケーションの方が得意で、「連帯」とか「仲間」とか「協働」とか、そういうのとの親和性が低いよな、と思う。単純に社不なせいもある。

何かに所属するとかコミットメントすることの話はさっきしたけれど、じゃあたとえば「作曲仲間」とか「デザイン仲間」、もっといえば「左京区界隈」とかはどうだろう。やっぱり私は、どこかに仲間として属せているという認識が薄い(サークルの人のことも「作曲仲間」というよりは「作曲がうまい友達」として見ている感が強い)。

ここでは多少の方向性の違いは大きな問題にならないはずなので、もう単純に、自信のなさが主要因として効いている気がする。「すべての好きな分野において、技術や知識が欠落していて、自信がない。広く浅くやっている(=十分コミットメントできていない!)ので、その道に深くコミットメントする人からは歓迎されない」から仲間になれない、という理路。全然ありそう(余談だが「校閲仲間」はすぐ作れると思う。自信あるから)。

実際に必要とされるのは「コミットメントしたい」という意思の表明であり、継続的な参加、つまり結局意思の表明である。仲間=「同じ属性を持ったわれわれ、一緒に頑張ろうな」だとすれば、属性への帰属意識が薄かったり、「一緒に頑張ろう」と伴走する観念が希薄だったりするのだろうか。「友達ができない」というたまに聞く悩みと同様に「仲間ができない」という悩みも存在しえるのか。そういうこと? ほんとか? そもそも友達と仲間の違いって何? なんとなく「承認」の有無がある気がしている。友達は承認なしでたのしく過ごせたらいいが、仲間はお互いの承認?連帯感?が必要…?という。仲間って、友達に合わせるよりも自分をさらけ出す要素の方が重要。きっと。

……とりあえず、自信がないところ、自信がないゆえに明確な意思の表明ができていないところ、そして気が移りやすいところあたりが、仲間いない説の根拠になっている気がする。

でも、ここまで書いてもなぜかやっぱり「仲間」になれる気がしない。コミュニティが私を受け入れてくれるとは思えない(被害妄想では?)

ところで、たぶん大人になってからの友達ってほとんどが「仲間」的な連帯によるはずなので、え、これからどんどん友達減るってこと?いやすぎる…

(ところで、そもそもいろいろにコミットメントしてたり、とにかく打ち込んでる人間の方が圧倒的に話が面白い(詰みました) 。自分の話つまんなすぎてマジ泣いた。面白くなりたい)

(自分にはきっと無理だと思って属せなかった界隈がたくさんあって、ちょっともったいなかったな、と思う。自分ってそもそも周囲の環境が形作るものだから、いったん飛び込んでみたら案外どうにかなったのかも?(どうしようもない性格とか認識の合わなさは別として、同じ類の人間であれば))

めーっちゃ書いてしまったが、今年の抱負に「コミットメント」はかなり関わってきそう。

ずっとずっと「選びとらずに全部抱えて進む」ことを主張して、その度に「一つに絞った方がいいよ」と言われてきたが、実際全部やるためには一つ激強であることが重要で、激強にするためにはある程度のコミットメント(集中してやる時間)が必要。一定期間を一つのことに捧げる力を意識的につけていきたい。今後のために。

マジ、揺り戻しのコミットメント、やっていくか。

あと、今年はちゃんと自分で仲間を認識できるようになりたい。