火にくべる

火にくべてしまいたい日常の機微

3/23-30

ひとつずつ集積しておかないと忘れるから、定期的に文章にしなければならない、と思う。それをけっこうサボってきたから、すこし焦ってる。とどのつまり、思考と行動、両輪がないと先に進めないということだ。

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何を一番大切にしたいんだろう。価値づけする視線。命を燃やせるものってなんだろう。それ自体、もうすでに決まっているのだから、私からどうこうするものではない、と考えたら気持ちが楽になった。自分の目で見たものだけがすべてだと思う。

日々はつねに、確信めいたものを形作るための時間であり、助走区間でもある。連綿と続く明日、明日、明日の集合体のために。

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長期的な伴走が苦手だ。手を離すのが好きなのと、なにかかかわりはあるのだろうか。

感情の最大瞬間風速に自信がある。でも、そばにいる気まぐれがいつも邪魔をする。

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京都というところは本当にいいところだと思う、今では。自分の足で選んだ彼女は、きっと晴れがましい顔をしていた。「晴れやかな気持ち」ってここしばらくの間一度もなったことがないな、と思う。意図的になのか、そんなふうに生きてきたからか。

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今回の旅行、後半部分、一人でいた日々は大して何もしていなかったから、人から見たら「金と時間の無駄」とか「つまらない」とかに分類されるのかもしれない(自分にとっても多少そうだから、こんなエクスキューズをしている)。

でも、まあ、いうなれば気持ちを奴隷にさせないための旅行だと思う、これは。ひとりきりで(あるいは電話しながら)自分の気持ちに向き合っていた。無駄な時間を無為に過ごすことが旅行の本質でもある。心を逃がすための、そういう。

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収斂、というよりは、手のひらから大切なものが抜け落ちていくみたいな日々だなと思う。時間に抗うことはできない。でも、小綺麗にまとめることはまだ許したくない。

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やはり、やはり、「幸せになる」という行為自体に隠された不幸さがどうも目についてしまって、しょうがない。そういう時期なんだと思う。「幸せ」とか「つまらない」とか、定義づけするのもナンセンスかもしれないが、あくまでも鉤括弧つきのものだ。

人生のほころびとか、うまく生きられなかった足跡とか、そういうものを愛していたい。そう思ってやまない。そういう営みを続けたい。

悩んで悩んで見えたかすかな光をとらえて、これが正解だ、と理論武装して話したがるけど、それはたいてい本当の正解ではなくて、絶えず流動している感情の流れを掬い取った一部分だけを、言語化しているにすぎない。

過去の自分に対する裏切り、忘れてしまうことの恐ろしさ、無かったことにする不誠実さ、未来を押しつぶす不安とか、うつくしさとか、その辺りに答えがあると思う。

裏切りだと思う。朽ちていきたい。うつくしさを信じて、朽ちていくのだけが正解だと思う。

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そう言わせてほしい。

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「若いっていいな」と、ふと思ってしまう。思い返せば人生に味がしたのは直近4年間のことだったように感じられる。もう戻らない(けれど、いつか戻ってくると信じて待てるような)日々の数々が、かなしくて、いとしい。

結局、やってきたこと、歩いてきた道のりがすべてだ。

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自分が薄情だと思うことがかなりある。