火にくべる

火にくべてしまいたい日常の機微

9/24-2

めちゃとるに足りないこと、実際は楽しんだほうがいいことに一々難癖をつけて悩んでいる。

本当に直近でいえば、ベース上手く弾けないなとか、まあ練習しろよという話、でも楽しければよくね?の自分と、こんな演奏を人に聞かせて迷惑だろうという自分が併存している(あくまで自分の演奏の話に限る)(ライブも今回あんまうまくいってなかったかも)(ミックス云々はおいといて、音源の方向性は合っている気がしていたが、それも自分の思い込みかも)(寝不足はほんと良くなかったね)

という時に、「これは楽しもう」とか「これは本気でやろう」とかちゃんと識別してものごとに取り組んだ方がいいのかも。

「これは楽しもう」の範疇が狭いのと呼応して「これは本気でやろう」の範疇も狭いなとおもっていて、いったい自分は何を大切に生きたいの?みんなどうやって、どう考えて命を燃やしてるんですか?知りたい。

 

自分が楽しくなっていけばいくほど、明るくなっていけばいくほど、今まで出会った楽しく生きられない人たちのことを思い出すけれど、そこに引っ張られるとまた元に戻っちゃうから、見えないふり、聞こえないふりをするしかないときもある。それってずるいよなと思った。

「死にたい」「生きたくない」で繋がるのだって本当に必要なときが存在しうるけど、必要ないときに、必要ない人がそれに引っ張られる必要は全くない。死にたいと思う気持ちは全然わかるけど、生まれてこなければよかったと思ったことは一度もなかった。それにずっと後ろめたさを感じていたけれど、別にそんな必要もない。ないでしょう。

明るく振る舞うことで、静かに話を聞くことで、誰かを元気付けられるなら、励ませるなら、そのほうがいいじゃないか。難しい。全員と仲良くなりたいけど、仲良くなりたいな、うーん。

人とうまく話せない。寝不足だから?それは8割元の性格が2割。とにかくいま誰と話しても不快にしている気がする。謝りたいけど謝ったらそれもまた違う気がする。みんななんでもできてたくさん話せてすごい。

なるべく人のいいところを見てなるべく人のこと好きでいたい。嫌いな人とか1人もいらん、こんないい人ばかり身の回りにいてちょっとおかしいぐらいに恵まれすぎているのに、まじで話せてない人たくさんいて、自分いる意味ある?さすがにある、過言、睡眠不足。

他人が絡む失敗って不可逆じゃん。戻らないじゃん。いろいろまちがっても取り返せないからこわいよ〜〜 自分の人生は取り返せるが、人の関係は取り返せないことが、ままある。

楽しくいたいね、なるべく楽しくいたいみんなと。この考え方の変化がめちゃくちゃ大きかったと同時に、逆に今までの自分何考えてたの?

 

ところで今も過去になるという事実が、つらい。「またやれる」「次やり直せる」がきかなくなっていく。新しいものに出会えばみんな過去は忘れてしまう。嘘じゃないと思う。

 

今涙が出てるのはなぜ?べつに悲しくないのに左目だけ泣いてて、不思議。

本当に疲れてる。紙一重だよ。まじで。

でも止まったらもう未来とかないと思って、そんな感じです。こんなに生きてきてなにもできない。まだまだやれるはずなのに。なにも満足にできないなら、できるまでやるしかない。