火にくべる

火にくべてしまいたい日常の機微

9/10

わたしにとって、あまりにも眩しい言葉の数々が高速で流れていって、なんとなく白いもやのように残っている。1日1日の発見や記憶を逐一止めようと思うだけの気力はまだ備わってない、などと言い訳がましく残しておく。

輝きを見るたびに、意思の強さを見るたびに、理想への道筋が示されるたびに、ひとつひとつのものごとが身体ごと引っ張り上げてくれるような実感がある一方で、なんとなく自分の周りに薄い膜が張ってきて、疎外されているような感を覚えて、いつかの日々の終わり、終わりへとフォーカスする視点。結局自分次第で、誰かの言葉が100%正しいということはなく、無考えに咀嚼する自分のことも幾分情けなく思う。

終わりを考える。終わりを考えること。悲しみを考えること。希望に満ちた終わりなら悲しくないかもしれないね。かるいため息。さまざまなものについての確信。

崇高になれないかわりに、なるべく直観で判断しようとする。

終わりを考えないと不自然で、考える。安寧を近づけているようで、遠ざけている。理想の自分が最短距離で歩いた経路をもう辿ることはできないから、傷だらけで置いていかれた自分を慰めるための終わり。手を離してしまって、もうのぼれなくなった階段が過去のものか未来のものか、わからない。

ねえ、わたしは、否定から入るかれらを否定して生きていきたいと思うけど、どうですか。

眠りに落ちる瞬間、体が沈み込むのが好きです。誰かが諦めなかった分の光が窓から差し込んできて、まだ夜のままの部屋を照らしてくれるから、すこしだけありがたく思う。