火にくべる

火にくべてしまいたい日常の機微

maintain

何かを作ったり生み出したり、はじめたりすることって案外簡単で、そこそこ元気なときの自分なら(すなわち前方への推進力さえあれば)なんだかんだやっていける、という自負めいたものがある。でも、よく言われることだけど、何かを維持したり保ったりすることはとても難しい。三日坊主がその最たる例なのかもしれない。私はとても苦手です。

単に飽きっぽいからとか、忘れっぽいからとか、それだけが理由ではないと思う。「そこに在る」ことに気づいてしまうことに、理由の一端がある。そう思う。

そこに在る。

何も考えずひたすら駆け上がってきた階段から眼下をのぞむと、足がすくんでしまうとか、いや、それよりも、ガラス瓶の輝きを見ているつもりが、割れて砕けてしまった後のことを思ってしまうとか、そんな話に近いかもしれない。

すでにこの世に存在してしまったもの。生まれてしまったもの。その大切さ(脆さ/儚さ/かけがえのなさ……)を胸に留めておくこと。磨き続けること。傷をつけないようにすること。どれも大切なことだとはわかっているが、そういう考え方に、本当にプレッシャーを感じる。大切にするべき理由のあるものばかりが周りにあるからこそ、壊れてしまうときのつらさ・痛さが絶えず背後に潜んでいて、そこばかり見る癖がついてしまったということだ。

逆に、在ることを在ることと意識しない。常に新たにはじめ続けること、新たに創り続けることのほうがよっぽど自分に向いている気がしました。毎日新しいものを重ねていく。個々が重なって、結果的にそれが「積み重ね」と呼べるものになっていくといい。

手段を目的にしてはいけない、ということですね。存在/存続は目的ではない。

ぼんやり、そんなことを考えていました。